失笑を免れることはできない! 世界公開マジでやるの? 「SPACE BATTLESHIP ヤマト」


※このエントリーは大いにネタバレを含みます。閲覧の際はご注意ください。

西暦2199年、突如侵攻してきた謎の敵・ガミラスによって、人類はその存亡の危機に瀕していた。人類の大半は死滅し、生き残ったものも地下生活を送っていた。ある日、地球へカプセルか落下してきた。それは惑星イスカンダルからの通信カプセルで、そこに行けば、放射能浄化装置があるという。人類最後の希望を乗せて、最後の宇宙戦艦“ヤマト”がイスカンダル目指して旅立つ。しかし、行く手にはガミラスの艦隊が待ち構えていた。     ―――goo映画より引用

 「SPACE BATTLESHIP ヤマト」。12/1の公開日に観てきたのだが、「日本人が初めて世界に挑むSFエンターテイメント」とするには片腹痛いほど失笑ものの作品だったので、ここに記録として残しておきたい。監督は「三丁目の夕日」で日本アカデミー監督賞を受賞した山崎貴
 この映画、何が問題かと言うと、とにかくVFX以外の部分があまりにしょぼすぎるのだ。これはどう考えても予算の問題なのだろう、全ての諸問題をVFXで解決しようと粉骨砕身した結果、ストーリーやキャラクターやセットがあまりにおろそかにされているのだ。


・セットのしょぼさにまず驚く

 映画の大半を占める舞台は、当然ヤマトのコクピット部分になる。が、その第一の感想は「せまっ!」そして「しょぼっ!」の二点。はっきり言ってディズニーランドのスターツアーズの方がよっぽど宇宙と未来を感じさせるほど古臭い、全然ワクワクしないセットの中で話が進んでいくのだ。VFXでは超巨大な「ヤマト」が、あの司令部の狭さで制御されているとは到底思えない。しかも、出てくる艦内の廊下や部屋がいちいち狭く、劇中の閉塞感は計り知れない。セット中一番広い出撃倉庫は、戦闘機一機を登場させるのが精一杯だったようだ(その戦闘機もVFX以外で全体が映ることはない)。だから戦闘中の会話もずっと同じ角度からのカメラ(明らかに撮影用にその部分しか作ってないんだろうなと思わせるもの)で面白くない。違和感はまずセットから醸し出されていると言っていい。


木村拓哉の出だしは良かったのに……

 木村拓也の初登場シーンが、ハートロッカーよろしく宇宙からの落下物の衝撃に巻き込まれてボロボロってのはかなり良かった。「え、こんなやつがこの後主人公になってくの? マジで?」な感じはかなりワクワクした。黒木メイサにもカウンターパンチをもらって踏んだり蹴ったりの木村拓哉、この後一体どうなるんだ! と思っていると、次に登場したときにはいきなり戦闘班の班長で、なぜか司令部の先頭にいる。 「WHY???」の文字が頭に浮かぶのもつかの間、木村拓也はいつもの「キムタク」演技に戻っていた(目上の人にはずっと敬語を使っていたのは好感が持てた)。帰ってきた途端にやっぱりパイロットとしても凄腕で、しかも砕けた人物で部下からの信頼は厚いとにかくすげーいい奴ってことになってる(出戻りで戦線からしばらく離れてたのに)。艦長命令を無視して黒木メイサの命を救ったあと、西田敏行扮する機関長に「自分が正しいと思うことをすると何故か怒られるんですよ」と言うセリフはもはやテンプレ。「HERO」あたりからずっとそれですよね……の声は届くわけもなく、沖田艦長(山崎努)の「なぜ乗ったんだ」の問いかけには「兄貴を見殺しにした沖田艦長がどんな男か見てみたかったんです」の返答。いや、地球救えよ! 地球の存亡がかかってるってときにとんだ私情を挟みやがったな! そんな心持でよく乗り込めたよ! というわけで艦長代理の威厳は全くなし。これ以後も「地球の命運を託された人たち」とは思えない言動が続出します。
 一応、古代が艦長としての沖田の意思を引き継いだと思われるイスカンダル手前、古代の「暗闇の中のわずかな光だとしても我々は可能性を本物の希望に変えよう! 地球に残してきた人々の為に、全力で成し遂げるんだ!」という見せ場が終盤にある。この激励によって全乗組員は敬礼をもって気合を入れ直す、という場面だ。映画としての盛り上がりの頂点もどうやらここで迎えているようだが……。でもさ、ヤマトって発進してからずっとそういうことだったじゃん……。どっちかって言うと出発前に言うセリフじゃねえのそれ……今までそう思ってなかったの……。決め台詞もいまいち感情移入できないのが日本式のSFエンターテイメントなのだ!



・失笑必至! これはもはや「目の前のことで頭がいっぱいになっちゃう」という現代病だ!

 ツッコミどころとしてはイスカンダルのシーンも挙げられるだろうが、ここは書く気も失せるほどどうでもいいので割愛。少しだけ書くと、アルマゲドンスターウォーズスターシップ・トゥルーパーズを合わせて死ぬほど都合よくした感じでした。ギバちゃんの死に方は良かったよ。以上。
 で、そんなことよりも最大級の失笑場面は最後の地球帰還直前のところ。放射能除去装置も持って帰ってきて「これで地球が助かるんだ……」と見せかけたところでデスラーが登場、「我々は地球を諦めるが諸君らにも地球は渡さない」と言って地球に崩壊クラスの爆弾を投下する。波動砲ガミラス側に発射口を塞がれたままで撃てない。このままでは地球が崩壊してしまう! 一刻の猶予もない! どうするんだ古代進! という場面。
 「波動砲は打てないのかよ!」と乗員に掴みかかり、「艦長に指令を出してもらう」と走りだすも高島礼子扮する佐渡先生にゆっくりと首を振られ「そんな……まさか……」と艦長の死を悟りうなだれる木村拓哉。「考えろ、考えるんだ……!」とそこでようやく考えはじめる木村拓哉! そして彼が出した結論は、ヤマトと波動砲ごと爆弾と共に消滅するという、地球を救うために自らを犠牲にする道だった! 総員退避の命令を出す木村拓哉! ざわめき立てる乗組員を制する木村拓哉! 
 と、ここまではまだ良かった。「そうか、このまま散っていくのか古代よ……。」と思っていたらそうじゃなかった。なんと、この後黒木メイサの「あなたがいない世界に生きる意味なんかなぁいのぉぉぉ〜〜! 一緒に死ぬのぉぉぉ〜〜!」というマジで「聞き分けのない」ワガママによって場面は強制的に「別れる前にその辛さをコンコンと語り合う二人」状態のクソみたいなラブシーンに持ってかれる。しかもこれが5分くらい。目の前の重大な切羽詰った危機が急にどうでも良くなっちゃって二人で話しだすってのは、海猿2がニューヨーク試写会で失笑を食らった有名な場面にそっくりじゃないか(海猿2は見てないけど)。おかげで観客の爆弾投下に対するハラハラ感が本当に台なし。お前ら地球が滅亡することとか本当にどうでもいいんだな! ってな感じではっきり言って私も失笑。「目の前のことで頭がいっぱいになっちゃう」というのは邦画における現代病だと言える。海猿2の噂は監督の耳に入らなかったのだろうか。しかし、なぜこの場面を入れたのか……。


・「SPACE BATTLESHIP ヤマト」は「ヤマト作品」の文脈で語ってはいけない

 ツッコミどころ満載のストーリー展開は、原作もそうなのだからそれはそれでいいのではないか、という意見をよく見かける。だとしたら、そんな内輪ネタだけのためにつくられた映画になんの価値もない。だいたい、「世界に挑む」などと豪語しているのは、宇宙戦艦ヤマトの原作を知らずにこれを見る人を想定しているからではないのだろうか(逆に海外にいる宇宙戦艦ヤマトファンはこれを見てどう思うのだろう)。恐らく目指していたのは日本版のアルマゲドンであったのだろうし(スティーブン・タイラーが主題歌を歌っているところからも明らか)、それが成功しているかどうかは別として、「SPACE BATTLESHIP ヤマト」は「ヤマト作品」ではなく、れっきとした「邦画」の文脈として語られるべきものだ。
 TBSで放送していた「ヤマト」の宣伝番組の中で「ダメかもしれないけどあきらめないでやることを伝えられたら」と、絶望の中発進するヤマトとその乗組員になぞらえて話していた山崎監督は、自らもハリウッドに勝てるわけのない予算の問題(ダメかもしれない)を、VFXを駆使することでなんとか一矢報いること(あきらめないでやる)で、そのメッセージを体現していたと言える。もし世界公開を本気で進めようとするならば、VFXもセットもストーリもキャストも含めて、日本がハリウッドを意識した映画を作るとこれが限界という指標を、よくも悪くも世界に提示することになるだろう。


「SPACE BATTLESHIP ヤマト」オリジナル・サウンドトラック

「SPACE BATTLESHIP ヤマト」オリジナル・サウンドトラック