ジレンマを抱えるからこそ人間。正直さとは何かを考えさせられるドラマ ロン・ハワード「僕が結婚を決めたワケ」


 主人公のロニーはジレンマを抱えている。

 ひとつは、同棲している彼女との結婚。彼女はすぐにでも結婚を望んでいるし、彼自身も結婚はしたいと考えているが、小さい企業を経営している彼は、大きな成功を掴んでから結婚を決めたいと思っている。「それでもいい」と理解を示してくれる彼女のためにも、いち早く成功を実現したい。

 もうひとつは仕事と友情の両天秤。これがこの映画のメインストーリーとなる。仕事のパートナーでもあるロニーの親友ニックは繊細で内気だが、経営は彼の技術が頼り。ある日一か八かでようやくチャンスを掴んだロニーは、会社のため、そして自分のためにも、ニックに仕事へ打ち込んでほしいと考える。しかし、そこでニックの妻ジェニーヴァが浮気をしている現場を目撃してしまう。

 親友に友人として告白するべきか。それとも、絶対に失敗できない仕事のためにこれ以上プレッシャーを与えないで黙っておくべきか。この映画は、これらのジレンマの間でもがく男の奮闘を描く。

 さらに映画が進めば、ロニー自身がジェニーヴァと過ちがあったことが明かされ、ジェニーヴァの浮気相手との問題も重なり、長年付き合ってきた親友ニックとの衝突が物語の頂点になる。

 この映画は、困難な問題を考え抜き、解決法を模索することで、様々な「パートナーとは何か」を描こうとしている。

 結婚に相応しいパートナーとは何か、仕事のパートナーとして何が必要か。そして、本当の友人とは何か。誰かと強い信頼関係を築くには正直さが求められるが、正直であるがゆえに信頼関係が一瞬で崩れることもある。

 「友人のために」嘘をつくのか。「友人のために」正直になるのか。過ちはあるかもしれない。間違うこともあるかもしれない。相手を思ったものだったとしても、それが原因で大事な人を一生失ってしまうかもしれない。

 ロニーがニックに決定的な告白をすると、ニックは激怒してしまう。怒って怒って主人公を殴り倒すほど怒り狂うが、最後に彼は「もうウソはつくんじゃねえぞ」と言ってロニーを許す。結局は、親友も「イイ奴」だったのだ。「イイ奴」と付き合っていたんだと気付くこと。何よりそれが最も救われる。

恋のライバルはマザコンのガキ? やっかいな三角関係に真摯に向き合うコメディ  ジェイ・デュプラス/マーク・デュプラス「僕の大切な人と、そのクソガキ」


 邦題がクリエイティブ。モテないおっさんが、自分にはもったいないと思う位のいい女性と深い絆で結ばれたまではよかったが、一方でその女性にとんでもなく自分に敵意をむき出してくるマザコンのガキがいたら……。この映画は、男としては途方もなくやっかいなライバルと女性を取り合う、変化球のラブコメディだ。

 離婚した女性を7年も引きずっているジョンがある日出会ったのは、自分の考えを肯定してくれ、「正直なところがいい」と言ってくれたモリー。2人はすっかり意気投合し、めでたしめでたし……とは当然行かない。ここで噂のクソガキ、サイラスの登場だ。

 このサイラスがまたいい感じのデブで、状況は「今は音楽活動に取り組んでいる」22歳のニート(これがシンセサイザーテノリオンなんかを駆使して結構オシャレなビートを刻みやがる……)。全く困ったものだが、モリーはサイラスを可愛がりまくっているからさらに困ったもの。

 子離れのできないモリーと、ママを取られてたまるかというサイラスの子供染みた偏愛に対して、あくまで正直にモリー親子と対話をするジョン。「こんな状況、正直勘弁だよ!」と私だったらかなり早い段階で諦めてしまいそうだが、ジョンは引かない。引かないからこそ、「どうやって解決するんだろう」と観客は興味をそそられる。ジョンは、モリーを愛している、一緒になりたいという1点については決して挫けず、親子と真摯に向き合う(だって、その正直な所をモリーは好きになったから)。

 そして、当のモリー自身も、世界一愛している恋人と、世界一愛している子供との板挟みによって苦しむ。この話のポイントは、「ママに幸せになって欲しいのはもちろんだけど、僕には彼がそうじゃないことがわかる」というサイラスのセリフだ。一見相手を思ったアドバイスのようだが、その実エゴでしかない。その考えは、結局はママを不幸に追い込んでいたのだ。

 親子関係だけではなく、元恋人関係、いや、ひいては現在進行中の恋人同士にも当てはまりそうなこのセリフ(「あなたにはあんな友達は似合わないと思うの」等……)。考えてみると、結構怖い。

隙さえあればギャグを入れ込む! このクドさはもはや伝統芸(褒めてます) デヴィッド・ザッカー「ベースケットボール 裸の球を持つ男」


 「裸の〜を持つ男」と聞けば、つい先日亡くなったレスリー・ニールセン主演の「裸の銃を持つ男」シリーズを思い出す。副題からしてその亜種のようだが、由来は監督が同じデヴィッド・ザッカーだからだろう。タイトルにある「ベースケットボール」とは、野球とバスケットボールを合わせたこの映画のオリジナル競技だが、副題は「球」以外何も関係なく、セガール映画の「沈黙の〜」くらい訳がわからない(でもわかりやすい)。

 主演はニールセンではなく、「サウスパーク」製作者として有名なトレイ・パーカーとマット・ストーン。ザッカー映画と言えば、隙さえあればとにかくギャグをねじ込もうとするアグレッシブさと、モラルという言葉は産まれてきた時に置いてきちゃったのかと思うほどのクレイジーさで攻めてくる大バカ加減がウリだが、これが主演2人の行きすぎテイストにピッタリマッチ。バカが陽気すぎるとこんな映画が撮れるということを実に感じさせてくれて感涙します。すっげー楽しそう。

 ストーリーは、ボンクラ青年2人が即興で作ったガレージスポーツ「ベースケットボール」(これが意外に競技として面白い)が現代スポーツのプロ制度に憂いていた億万長者のじいさんの目に留まり、2人は考案者でありながら新競技のプロとして超有名になってしまう……というもの。DVDパッケージの裏に「メジャープロスポーツを強烈に風刺する痛快作だ!」って書いてあったけど、そ、そうかなあ? 下品なギャグのオンパレードなんだけど、ちゃんと見た?

 映画はとにかくギャグが何よりも優先で、ストーリーに関係あるシリアスな話をしている後ろで人がポンポン飛んでるような、大変ジャンクな作りになっている。隙あらばギャグ。感動シーンもギャグ。これがミソ。

 悪役がせっかく甘い話で頭の弱いヤツを罠に嵌めようとするのに、こいつが真性の大バカ野郎なので話が全く噛み合わず、悪役が勝手にすんげーイライラする感じなど最高に笑います。

 そんなファニーでファニーでしょうがない大バカ映画なのだが、注意点としてはスラングもダジャレも有名人ネタも大盛りで盛り込まれているので、英語圏の言葉や文化を知らないとギャグが全く理解できない場面も多々あること。スラングやダジャレは字幕じゃダメだよね。

 こういったストーリーよりもギャグ優先の映画って、ザッカー監督以外はなかなか撮らない手法なのではないだろうか。あまりにギャグに寄り過ぎていて、ザッカー節という伝統芸の域まで到達していると思う。いや、この映画、オススメですよ。

吉高由里子の嬲られ姿を見るだけでも価値がある。ストーリーは……えっと…… 蜷川幸雄「蛇にピアス」


 監督は演出家の蜷川幸雄蜷川幸雄が監督、さらには映画初主演の吉高由里子が大胆なヌードを披露したことでも公開当時は話題になった作品。

 目的もなく渋谷の街をふらついていた19歳のルイ(吉高由里子)は、地下のクラブで赤髪でピアスしまくり、タトゥーも入りまくりの男、アマ(高良健吾)に出会う。ルイは彼の持つ舌の先が2つに別れた「スプリットタン」に惹かれ、そのまま同居を始める。アマと付き合ううちに紹介されたタトゥーの彫師、シバ(ARATA)にはスプリットタンを目指すため舌にピアスを開けてもらい、タトゥーの彫刻も約束し、さらにはSMセックスまでしてしまう。一方で渋谷の街でルイにちょっかいを出そうとしたチンピラをアマはボコボコにし、それが殺人事件にまで発展していることをルイは知って……。

 「19歳、痛みだけがリアルなら 痛みすら、私の一部になればいい。」というキャッチコピーで売りだされたように、今作は身体的な痛みが断続的に続いていく。舌に開けたピアスを段々と大きくして穴を拡張させるため、ピアスは常にルイの舌の先で疼き続け、シバとルイの緊縛SMセックスでは後ろ手に縛られ首を締められ髪を掴まれてルイは泣き、タトゥーを彫る場面も肌に墨を入れる描写をアップでジジジと丁寧に描いているので見ている方もかなり痛い。アマのケンカでは、執拗なまでにボコボコにされるチンピラたちもかわいそうなくらい痛めつけられる(このチンピラの小栗旬藤原竜也コンビはとても良かった)。

 現代の19歳がフワフワとしていて、無目的で、そんなくすんだ世界には「痛さ」しか生きているという刺激にならないのだ、というコンセプトは良くわかる。わかるのだが、この映画を見終わってもそれが一体何だったのかがわからない。

 ルイはなぜ痛みに惹かれたのか、もしくは、なぜそうならなくてはならなかったのか。ルイという人物のこの内面部分が描かれていないため、彼女の心情がいまいち掴み切れないまま話は進んでいってしまう。そんなところで、それまで醒めきった表情で過ごしていたルイが、あるきっかけによって突然泣き叫んでみたところで、「え、急になに言ってんすか」と見ているこっちはポカーンである。

 ルイという人物は、19歳のなかでも特別なのか、一般的なのか。それすらわからないのだが、もし特別なのであれば、タトゥーやスプリットタンに興味がない人でも、ともすればあの痛々しい行為にはまり込んでしまうようなスリル感があれば、全く違った内容になっただろう。

 というわけで、映画全体としてはどうも弱いなーと思わざるをえない作品だった。ただし、常に痛さが伴っている個々のシーンは素晴らしいの一言。吉高由里子の綺麗な体が嬲られ、彫られ、穴を開けられ、痛い。痛い。すっごく痛い。これを見るだけでも価値がある。さすがは蜷川幸雄の演出なのであった。

かわいい映画、と思わせてキモさ全開。それでもめげないお婆ちゃんがとっても前向き! シルヴァン・ショメ「ベルヴィル・ランデブー」


 身体を縮ませたり、伸ばしたり、誇張したりするのは、元来からのアニメーションの楽しみだ。この「ベルヴィル・ランデブー」も、実に戯画的に描かれた人物達によって物語が進む。

 セリフがほとんど登場せず、色遣いや演出も丁寧で柔らかでありながら、どこか陰鬱な雰囲気のあるショメ節は、この作品が白眉だろう。

 主人公は、お婆ちゃんとその孫。自転車にしか興味を示さなかったシャンピオンという男の子が、お婆ちゃんのどこまでも献身的でパワフルな協力によってツール・ド・フランスに参加するまでになる。 しかし孫は途中でリタイヤ、しかも黒づくめの怪しい男達に他の競技者と共に攫われてしまう。それに気付いたお婆ちゃんは、孫の後を追っていくのだが……。

 幼少期は可愛くぽっちゃりしていた男の子が、鼻と足の筋肉だけが異様に発達したお世辞にもカッコいいとは言えない痩身野郎に変貌したときの衝撃や、後ろからみればただの黒いぬりかべにしか見えない黒ずくめのマフィアの子分たち(全員)など、コミカルな誇張というよりは悪意さえ感じられるショメの視線が皮肉な笑いを誘っている(しかし、船体部分があり得ないほど縦に高く描かれた貨物船には思わず吹き出してしまった)。

 冒頭では、シルヴァン・ショメ監督の作風というよりは、古き良きアメリカ的カートゥーンの萌芽を彷彿とさせるミュージカルから始まる。ところが、そこで繰り広げられるハチャメチャな展開がどうも気持ち悪い。

 ノリノリで歌っている若き三つ子姉妹の隣では、ジャンゴ・ラインハルト風の男がギターを足で弾いてみたり、フレッド・アステア風の男がダンスをしながら靴に食われたりと一見楽しげだが、あまりに誇張された人間描写と、繰り返される三つ子の画一的な笑みにワーナー的なエンタメ性はない。逆に、キャラクターが画面に笑いかけてくればくるほど、その悪夢的な情景が永遠に続くのではないかと、吐き気が出てくるほどだ。

 劇中でもそのテイストは続き、中でもとりわけ気持ち悪いのは、老いた三つ子(お婆ちゃんと後に出会う)が作ってくれるカエル料理の食事シーン。カエルを煮込んで調理するのはいいのだが、大鍋から取り分けられるのは大量のそのままの姿のカエル(煮込まれて色がくすんでいる)。どうやらじっくり煮込んだようで、それを持ち上げれば先の丸い手や足、目玉のついた頭がドロっと溶けてもげ落ちる。当の三つ子はカエルを丸のまま口に放り込み、ぷらんとした手をはみ出させながら美味そうにムシャムシャ食う。「うへー」と思ってると鍋からぶよぶよのゾンビカエルも飛び出して恐怖は倍増、デザートにはオタマジャクシのおまけ付き。下手なスプラッターよりも相当グロいこの描写は、カエル嫌いなら諸手をあげて外へ飛び出すに違いない。ショメさん、やりすぎっす。

 冒頭からキモさ全開の「ベルヴィル・ランデブー」を見ただけでは、あまりに切ない同監督の「イリュージョニスト」が後に作られるとは到底思えない。その点、レベルファイブの超人気ニンテンドーDSソフト「レイトン教授」シリーズの絵柄は、ショメの毒気を上手く処理してかわいい部分だけを抽出した傑作だと思う。

 そんな生理的嫌悪感を存分に味わえる作品である一方で、こんな奇妙な世界にも関わらず、持ち前のパワフルさと機転が利いたアイデアで孫に近づいていくお婆ちゃんの快活さが作品を前向きにし、さらには三つ子姉妹の家財道具さえ音楽にしてしまう陽気さが全編を通して救いになり、この映画を最後まで楽しくさせるポイントになっている(社会的弱者の抵抗、身近にあるものとアイデアで問題を解決する、というのは、ジャン=ピエール・ジュネ監督の「ミックマック」でも見られた精神。どちらもフランスの作品だが、そこに意味はあるのだろうか?)。

 確かに絵柄や雰囲気は落ち着いているし、「三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー」シリーズということもあってカワイイ作品のかなと思いがちだが、「つみきのいえ」のような清純さを期待していると、その悪趣味さに結構痛い目を見てしまう(それがいいのだが)。いやしかし、「ランデブー」って感じじゃあないよな、これ。

ボガードのサラっとした嘘が解き明かすハードボイルド・ミステリー。ローレン・バコールは秋元才加にマジでそっくり ハワード・ホークス「三つ数えろ」


 レイモンド・チャンドラーの小説「大いなる眠り」をハワード・ホークスが映画化したハードボイルドの傑作。

 1945年版と46年版があり、第2次世界大戦後に一年越しでわざわざ撮り直されているあたり、ホークスは46年版で完成としたようだ。

 ニヒルな探偵の代名詞、フィリップ・マーロウハンフリー・ボガード)が、失踪した用心棒の捜索をある老将軍に頼まれるが、行方を探しているうちに、その家のワガママな2人姉妹も事件に絡んできて……。

 映画ではこの2人姉妹がとにかく曲者で、姉ヴィヴィアン(ローレン・バコール)の方は真面目そうだけど胡散臭いことばっか喋ってくるし、妹カルメン(マーサ・ヴィッカーズ)の方は酔っ払って「cute」を連発しながらマーロウの事務所に押しかけてくるし(これがマジで鬱陶しい)、ハードに生きるのも大変なご様子。

 しかしプロットは流石に良くできていて、観客がマーロウと共に段々と事件の全貌を理解していく構成はお見事。大体、プロットが込み入ってるように見えるのは、マーロウがスカした顔でカマかけまくっているからだと思う。ホントは全然情報がないクセに、全部知っているフリをして相手から会話を引き出そうとするもんだから、そこで観客が混乱するのもわかる。嘘つくのマジで上手いねアンタ!

 ところでこのローレン・バコール、どこかで見たことあるなーと思っていたら、今を時めくAKB48秋元才加さんそっくり。ツンとした表情なんか秋元さんのイメージともピッタリ重なる。なので、秋元さんは日本のローレン・バコールとしてもっと演技を勉強して、映画産業にガンガン絡むといい演者になるのではないだろうか(「伝染歌」での演技は微妙だったけど……)。

 ちなみに、ハンフリー・ボガードローレン・バコールは1945年版の撮影を終えたあと、25歳という年齢差を乗り越えて結婚している。秋元さん、どうせ同じおっさんなら、ボガードみたいなの狙いなよな、ボガードを!

「アメリ」以上のイタズラ心が巨大組織をぶっ潰す。アイデアとユーモアに溢れた復讐劇がスカっとする  ジャン=ピエール・ジュネ「ミックマック」


 「アメリ」の監督ジャン=ピエール・ジュネがいたずら=「ミックマック」心を突き詰めた、ジュネ版「スパイ大作戦」といった作品。

 脳に弾丸を撃ちこまれ、生死の境をさまよっている間に職も住居もなくなってしまったひょろっとした男(ダニー・ブーン)が、廃品のリサイクルをして生計を立てている人物たちと出会い、たまたま見つけた弾丸の製造会社と父親を爆殺した地雷の製造会社に復讐していくといった話。

 ストーリーだけ記述するとシリアスな話のように見えなくもないが、この主人公や登場人物がシリアスな表情を見せるどころか「イタズラするって楽しいな!」くらいの無邪気さで行動を起こしていくので、彼らのイタズラには笑いっぱなしだ(当たり前だが兵器製造会社側は終始怒っている)。

 劇中には復讐に使う様々な道具が登場するが、本物のスパイなら最新鋭の技術を駆使してしまうところを、この映画ではそれらが全てリサイクルされた廃品。社会的弱者にある彼らが、ほぼアイデア勝負だけで驕り高ぶる組織を壊滅に追い込んでいく様子は、庶民の怒りも代弁してくれているよう。

 味方側には朝食の成分をブツブツと分析する目測計算機少女、ちっこい発明じいさん、包装されたダンボールに入り込んで敵屋内に侵入する軟体女などジュネらしい変な奴らが粒ぞろい。彼らの特技が精一杯活かされるというのも、「スパイ大作戦」のいいところ。映画のラストに登場するヒラヒラとダンスする発明品は劇中最もおしゃれなので必見です。

 にしても、最終的に印象に残るのはブーンさんの高速指パッチン。1秒間に何回パチパチ打っているか目でも耳でもわからない高速っぷりに虜にならざるを得ない。DVDをスローで何度も見返して目下練習中ですが、ポール牧だってあんなんやってなかったよ! ブーンさんやり方教えて!