矢島美容室 THE MOVIE 夢をつかまネバダ の評価

これほど「奇妙さ」が際立った映画も珍しい。
そもそもが「とんねるずのみなさんのおかげでした」のキャラクターから持ち上がった企画だとして、その「無理」という手札でもって映画を成立させなくてはならない事情ゆえ、話としても完成度はあまりにも低い。


この映画が圧倒的に奇妙なのは、なぜか真面目にストーリーを紡いで映画を成立させようとしているところだ。ドリームガールズ的な衣装に身を包み、ネイティブの日本語を喋るという体からして無茶があり、それはもちろん本人たちも理解した上でやっているに決まっているが、それが映画のストーリー上に登場するとやっぱり無茶がある。出オチの塊と言っても過言ではないこのキャラクターたちで物語を語るなんてことは不可能で、しかしその不可能さが奇妙な笑いを誘うのである。

特にストロベリー(石橋貴明)の出オチ具合は半端じゃない。何に笑うって、いくら女装してようと化粧してようとどう見たって50歳のガタイのいいおっさんが登場してるのに、テロップでは「ストロベリー 11歳♡」と出てくる。


そんなわけねーだろ!!


と心の中で渾身の叫び声をあげるが、「それに突っ込んだら負けだよ」って感じでストロベリーが振る舞い続けるのでこちらも諦めてニヤける他にすることがない。もはや「ストロベリー 11歳♡」のテロップだけで笑ってしまうほど、エンタの神様百回分よりも面白い。ストロベリーという存在自体が出オチも出オチ、言わば全シーン出オチと言っても過言ではない。どう考えても登場したらそれ以上は無理になってもおかしくないインパクトのあるキャラクターなのに、この石橋貴明という男は何故かそれを成り立たせてしまう。



真面目にストーリーを紡ごうとしている、と先に書いたが、何をどうリアルに保たせたいのか、舞台がネバダに設定されているために無理矢理情景をアメリカっぽくしているところが奇妙さをさらに際立てている。
見ると、矢島ファミリーも含めてほぼ全員が「外国人風の顔(メイク)をしながら日本語で役を演じている」。アヤカ・ウィルソンしかり、山本裕典しかり、伊藤敦史に至っては何故か黒人風のメイクを施された上で思い切り日本語で喋る(黒木メイサは…うーん。)。ストーリーの進行は主にストロベリーvsラズベリー(黒木メイサ)の野球対決と、ナオミのミスネバダ大会(ここでもラズベリー登場)だが、端役も含めて本当に日本的な顔立ちは見受けられない。だから、海外ドラマを観るように英語を聞く感覚になってると全編日本語なのでこれが結構気持ち悪い。今から思えばあんなメンバー(特に小学生群が顕著)よく揃えたなーって思うし、これだけ日本顔してないのにこんなに勢ぞろいで日本語を喋られるとなんだかこちらのアイデンティティが揺らぐのだ。


そして矢島ファミリーの住居。これがまたどこの昭和の一軒家だよってくらい小さい。言わばのび太の家の半分くらい。いくら日本人の父を持つって言ったって狭すぎる!
家の周りは山に囲まれていて(なんかそれだけでアメリカじゃない)、ネバダのカラッとした雰囲気の草木は見当たらず、あるのはオリエンタリズム溢れた湿気った草木たち。この風景、長野に旅行したとき見たことあるよ? 的デジャブを感じながら、この場所はアメリカなんだ!アメリカだと思わなきゃ!と必死の自己否定と自己暗示。


そうやってこの映画は、「日本人が作ったアメリカ・ステレオタイプな感じ」なんだけど「どう見ても場所が日本」なんだけど「出てくる人は徹底してアメリカっぽい」なんだけど「言葉はやっぱり日本語」というねじれにねじれた訳のわからない構造になっている。
いっそのこともっと安っぽくして「海外である」ってことをギャグにしちゃった方が良かったんじゃないの? という提案が思いつくがそれは野暮ってものだ。
この無理な感じを含めた滑稽さこそが矢島であるし、その変なこだわりに映画の成立を求めたからこそ、ドラマがないにも関わらずなんだか成り立ってしまっている(ような気になる)。




この妙な違和感、実は以前にも味わったことがある。それは映画「コーンヘッズ」だ。
「コーンヘッズ」は、おでこが異様に縦長な宇宙人の家族が、いち地球人として普通に暮らしている(近所や周りの人々も特にその頭を気にしている様子がない)という観客ツッコミ型ファミリーコメディだ。


はっきり言って「コーンヘッズ」も出オチムービーである。DVDのパッケージからして「頭がおかしい!」。だいぶ前に観たので記憶が間違っているかも知れないが、序盤はごくごく一般的な(ステレオタイプな!)ホームドラマが進んでいく。観客だけが頭の異様さに気付いている中で、コーンヘッズファミリーが幸せそうな家庭を築いている様子が滑稽でツッコミたくて仕方なくて笑ってしまうという流れだ。



あれ? これほとんど一緒じゃん!
しかもこのコーンヘッズ、もともとサタデーナイトライブというアメリカのテレビ番組のコントが元になっている。
果たして「矢島」の制作者が「コーンヘッズ」を意識したのかどうかは分からないが、バラエティから生まれたキャラクターとしてとても似通っている。
同じ出オチムービーとして、こちらの「コーンヘッズ」はコメディながら移民問題も交えつつ、宇宙と地球を巻き込んだ壮大な話に発展していってとても優れた作品となっているので、比較して観ると「矢島」のどの点が問題なのかがわかって面白いかも知れない。



で、話は面白かったの? ってことになるが、何度も言うように「物語は存在しない」。なんと言ったって感情移入出来ないのだ。情景の問題ももちろんあるが、もう一つの主な理由はナオミの演技。いくら俳優じゃないにしてもはっきり言って学芸会レベル以下で見てられない(もう少しあるだろ…という感じ)。で、それはそれで仕方ない。DJオズマだし。しかし一旦ストーリーから離れれば、他の役者の演技の上手さが際立って「あ、やっぱ俳優ってスゴいんだ!」と気づかせてくれたりもする。


一方、安心できるのはミュージカル部分。ストーリー関係ないし、演技ごまかせるし、何より曲がいい。
そんな中、「映画みたいに恋したい」は本当に名曲。
ストリベリーが恋する男の子と「映画みたいな恋がしてみたいの」とささやかな恋心をデカいおっさんが歌と踊りで表現する。
ブロードウェイさながら、相手役の男の子と一緒に踊る。踊るのだが、男の子がストロベリーの背後に回って肩を抱くように体をスイングさせるところで僕は飲みかけていた水を吹き出しそうになった。
つまり、ストロベリーの体がでかすぎて背後の男の子がすっかり隠れてスクリーンから消えてしまったのだ。なんということだろうか。どれだけデカいんだろうか。
曲がいい分、その滑稽さはさらに際立ち(この映画の文法の基本)なんとも忘れられない名場面として降臨したのである。見る価値はかなり高い。

だから、ミュージカル仕立てにしたのは正解。ストロベリーが動いてるだけで(しかも真剣にやればやるほど)笑ってしまうし、そこを観客は見に来ているので、とても楽しい。


見所としては、「とにかく石橋貴明を見ろ!」である。
あの格好で「友情と愛情と、どっちが大事なの?」とアヤカ・ウィルソンと対峙する場面があるのだが、なぜか少し泣けるという謎の演出も成功している。

期待としては木梨憲武の演技の上手さをもっと引き立てて欲しかったところだが(そつなくこなしていて逆に目立っていない)、その分ストロベリーが面白すぎたのでそれで満足することにする。


そんなわけで、僕は楽しめました。