アリス・イン・ワンダーランドについて2

(はじめに少しだけ釈明しておくと、僕が見たのは映画館での一回だけなので細かい箇所が間違っているかも知れません。もし違っていたら指摘してください。)



昨日の続きです。

そう、重要なのはこの結構長いとも思える前置きの設定。

この設定があるからこそ、アリスがアンダーランドにおいて冒険をする意味が出てきます。
アリスは一体どのような体験をしていたのでしょうか?



映画の中で何度も繰り返されるのは、アリスがピンチに陥る度に「これは夢なのだから目覚めれば大丈夫」と言って思考を停止し、立ち止まってしまう描写です。
映画の中では、「これは現実」ということを強調するため、身体の痛みを伴う描写がところどころ出てきます。
「頬をつねって痛くなかったら夢! 痛かったら現実!」というあまりに単純なヒントがあるにも関わらず(実際アリスはいちばん最初に頬をつねります)、アリスは「いや、これは夢だ」と頑として受け入れません。
しかしその思考を変えない限り、アリスは命そのものが危うくなってしまうのです(バンダースナッチに襲われるシーンが顕著。助けがなければ、アリスは確実に死んでいた)。


これはとても重要なことです。
はっきり言ってしまえば、アンダーランドとは、アリスにとっての現実世界そのものなのです!
現実世界では、彼女は亡き父の「夢」を見続け、「お父様がいれば…」と思っているはずです。
一方、アンダーランドでは、「救世主が来た!」と歓迎されても、「え、アリス違いっしょ…?」とすっとぼけた答えでレジスタンスたちを心底がっかりさせています。


つまり、アリスはどちらの世界においても「私が本来いるべきところはここではない」と感じていることは間違いないのです。
アリスはマジな社会不適合者なのです。



では「アンダーランド」とはどのような世界でしょうか?

アンダーランドは赤の女王に支配されている世界です。
かわいそうなカエルは、女王のおやつをツマミ食いしていまったばかりに、首はねの刑および彼の親族全員死刑、子供のおたまじゃくしは女王の食事になってしまいます。
あまりにわかりやすいファシズム…!

そんな女王に怯えながら、約束の日に向かって虎視眈々と革命を狙っているのが帽子屋やうさぎのレジスタンスなのです。
この抑圧された世界観も、アリスの鬱屈した現実世界とリンクします。

唯一の違いは、レジスタンスの有無。

そう、この物語は、「現実を直視しないアリスが、レジスタンスに触れることによって運命と現実に立ち向かう力を手に入れていく物語」なのです。

ほお、と思ったのは、白の女王のもとに伝説の「ヴォーパルの剣」を取りに行かなくてはならないというシーン。
仲間である犬に「白の女王のところに行かないと預言書通りじゃなくなるよ!」と言われたにも関わらず、目の前で帽子屋が捕まえられるのを見たアリスは「自分の決めたことを信じ」て、赤の女王の城へと向かって、城の中へと侵入します。
え、大丈夫か? と思っていると、なんと剣は赤の女王の城の中にある、ということが解るのです。
これがなんとも象徴的なエピソードなのです。

ここでアリスは、おそらくは人生で初めて「運命に抗ったことによって運命を掴みとった」のです。これは感動的。



で、ここから先は…言えません!
もう少し書きたいのですが、それは結末とも関わるので泣いて割愛します。


というか映画館で見る価値あるので、見に行って下さい!
見たら話しましょう。

今日はここまで。